■住吉神社■所在地:兵庫県加西市北条町北条1318

◆起源
【お宮さん】【住吉さん】と呼ばれ地元人から親しまれる住吉神社は「播磨国三宮」として古くより崇敬を受けた縣社として知られ、平安時代初期に朝廷内によって編纂された「延喜式」にも記載される高い格式と由緒を誇ります。

住吉神社創建にまつわる歴史を紐解くには神社に伝わる「由緒記」がその謎を解く鍵になりますが、当社に残る「由緒記」は幾多の戦乱や度重なる火災等により当社が太古の北条の地に鎮座された年より600〜900年後に書き記されたものと考えられており、様々な伝説が錯綜しその真相は明らかにされていません。

時代は養老元年(717)。賀毛郡(現在の加西市)で最も険しく、神聖な山として崇められる「鎌倉峰」(河内町)を年老いた老夫婦とそれに仕える五人の従者が訪れたそうです。
一行はその鎌倉峰より南西に広がる三重里(北条町)と南東にある由羅野(社町)の展望に感嘆され降臨を決意されたとされています。そして山を降りた一行は当地の豪族である山部氏(山氏)に宿の貸借を申し出ました。当主の山ノ酒人(やまのさかひと)は不審に思いながらも一行の品行に敬意を表し要望を受け入れたといいます。
ところが一昼夜にして田園に植えた稲苗を大松に化かすという奇跡に驚き、この地の人々と相談し共同の祖神として松林の中に神殿を造り祀ったのが始まりとされています。

参考文献:水田益弘著「私たちの住吉さん」


創建当初は、「酒見大明神」と呼ばれ黒駒村の向山(別名-寺山)に祀られていましたが養老年間の3月3日に現在の地に移され、その後、毎年3月3日に祭礼が行われるようになりました。

■現在の寺山(黒駒区)

■山の中腹にある旧鎮座跡記念碑

■旧神宮・第二鳥居の脚座跡
 
ホウセイ工業(株)敷地内

祭礼当日は神社から黒駒村へ使者が使わされ、その使いが七度繰り返され八度目の際に、黒駒から村人や村役人が出立ち、途中で両者が出会い、やがて全員が神社に戻り、祭礼を執り行ったという説があります。これを【七度半の使】といい、現在はその形を変え「鶏合わせ」神事の際に行われています。
また現代でも神輿の警護にあたる者は「七節半」の竹を持って任に就くのも、この儀式に因むものではないかと考えられています。

◆沿革
社殿は戦乱により幾多も焼失し、慶長年間には社頭は荒廃し、祭りも寂れていたようです。
これを知った姫路城主の池田輝政が毎年30石を寄進するとともに四人の重臣を遣わせ再興を支援したと記録されています。嘉永3年(1850年)に社殿が改築され、同4年に竣工し、現在の本社三殿として残ります。明治になり縣社に指定される際、酒見大明神から住吉神社と呼ばれるようになりました。
その後、大正5年には幣殿・端垣・東西随神門・神輿庫が新築され、昭和15年には拝殿正面に向拝(写真)の付設工事に着手。翌16年3月に竣工し、戦時下にありながらも、祭礼日4月2日の竣工式では餅まきや奉納相撲などが行なわれました。

■拝殿向拝(上)
■竣工式典(右)

○昭和29年には大型台風により大鳥居が倒壊。
戦後復興の過渡期にはありましたが、神社役員、氏子の総力により昭和31年3月に再建。現在の大鳥居として残ります。

○昭和61年には本社三殿・幣殿の屋根葺き替え工事が行なわれ、翌62年3月に竣工。

■本殿・幣殿屋根葺替工事記念碑(左)
■現在の西本殿(右)

○平成元年より春季例祭(節句祭り)の祭礼日を4月第一土曜・日曜に変更。

○平成16年、神社玉垣・東西随神門を新改築。

○平成17年、本社三殿・幣殿・拝殿・玉垣が国の「登録有形文化財」に指定されました。

○平成18年、拝殿両脇にある東西「天水鉢」を新調。

○同18年、隣接する弁財天池の整備工事が完了。

■酒見大明神縁由記(鍛治高雄氏蔵)

■現在の「七度半の使」 本宮本社・鶏合わせ神事前