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| 節句祭の舞台となる北条町は、住吉神社と酒見寺の門前町がその起源であるとされています。住吉神社の社勢盛んなる頃には国司から寄進された領地が四十余村もあり、近世に至るまでは【市場】【寺内】【西寺内】の三村からなり、姫路・福崎・高砂・丹波地方など東西南北からの諸街道が集まる中継地点として、宿場・商業の中心地としての繁栄を遂げました。 【寺内】の地名はその名の通り寺社の門前町を意味し、【市場】は近郷の村々の物資交易の場であり、古い文献には毎月二と六の日に六斎市が開かれていたとの記録も残ります。 「いなかなれども北条は都、月に六斎市がたつ」 との俗謡は、当時の市場の繁栄を歌ったものと考えられます。 北条村は戦国期には荒廃し、江戸初期急速に復興し、家数も増加したため、慶長初期(1596〜1615)に寺内・市場の二村に分村したとされています。 両村とも慶長5年(1600)姫路藩領、正保(1644〜48)頃は幕府直轄領、延宝8年(1680)下総佐倉藩領、貞享3年(1686)相模小田原藩領、延享4年(1747)からは徳川御三卿の一つである田安家領となり、慶応4年(1868)には龍野藩領、同年再び田安家領となり陣屋も置かれ明治の廃藩まで続いたという歴史を残します。 【酒見北条】(さがみ・ほうじょう)と地元人から尊称される由縁は住吉神社創建の伝説に携わった山部豪族が酒造りを営んでいたことから由来したと伝えられています。 太古の昔には【三重里】と呼ばれ、江戸時代には町の形が翼を広げて飛んでいく「雁」の姿に似ていることから【雁村】と呼ばれた時期もありました。 町村合併促進法制定後の昭和30年1月15日に「北条町」「富田村」「加茂村」「下里村」の1町3村が合併し「北條町」となり、その後も幾多の沿革を経て現在の北条町となりました。 |





栗田商店街(昭和10年頃)
南町通り(昭和12年12月頃)
南京占領の祝賀パレード
本町通り(昭和10年頃)
左側にモダン食堂と神姫バス営業所
南町通り(大正中期)

駅前通り(昭和10年頃)
右に神姫停留所、左に霜門理髪店

北条町役場





住吉座の全景
(場所は現在の中央福祉学院)
黒駒の一本松(昭和初期)
住吉神社前。後方は萩原酒店
住吉神社での出征式